日本のみなさんへ
ティク・ナット・ハン師
からのメッセージ
私たちの瞑想センターは、
フランスのプラムヴィレッジをはじめとして世界各地にありますが、さまざまな国の祝日を祝っています。
それは私たちのコミュニティー(共同体)がとても国際色豊かで文化も多様だからです。
たとえば十一月には、アメリカとカナダの人たちとその祖先を讃えるサンクスギビング(収穫の感謝祭)を祝います。
みんなで集い、感謝して、あたたかい食事をいただくのです。
ともに席に着いて、食事を楽しむことを可能にしてくれたすべての条件に感謝します。
十二月はクリスマスを祝いますが、現代の大量消費的なやりかたではありません。
時間をかけて暖炉のまわりを飾りつけ、みんなでいろいろな歌を歌います。
高価な贈りもののかわりに、質素ながらもたっぷりと愛情のこもったプレゼントを作ります。
クリスマスはキリスト教徒にとっては特別で神聖な時期ですが、そうでなくても、お互いのために存在しあい、ともにいられることを喜ぶ、またとない機会です。
私たちは多様な文化を認めて祝福するために寸劇や音楽を演じ、各国の伝統料理を作ります。
実際、消費を追い求めるようなクリスマスに嫌気がさした多くの人たちがそこから逃れて、もっとシンプルに、スピリチュアルに、「昔風」の祝いかたを楽しもうとして、この僧院にやってきます。
クリスマスが終わると、新年にはさらに多くの人たちが参加してお祝いします。
ヨーロッパでは年末年始に多くの人が休暇を取りやすいので、新しい年はさらにマインドフルネスや理解、愛、安らぎを深めていこうと誓いをたてるのにちょうどよいのです。
新年から数週間経つと、今度は「テト」を祝う季節がやってきます。
これは太陰暦の旧正月で、ベトナム人にとっては一年でもっとも大切な最大の祝日です。
プラムヴィレッジでは、昔からの伝統であるバインチュン(もち米に緑豆をつめてバナナの葉でくるんだ餅)作りを続けていて、野外のたき火で一晩かけて調理します。
私たちは交代で火を見守り、大鍋にお湯が足りているかどうか確認しながら、物語や歌を楽しむのです。
テトは五日間連続して行いますが、その間は一切の仕事をしません。
毎日、みなそれぞれにお互いの部屋を訪ねて食事を分けあったり、一緒にお茶をしたり、一年の幸せを祈ったりします。
新年は新しい始まりです。
古い皮を脱ぎ捨て、自分自身と新たに出なおし、他の人とも新たに始めるときです。
それはまた、許すことを祝福するときでもあります。
テトが終わるとすぐに、私の住むアッパーハムレット(上庵*1)の丘は水仙の花で埋めつくされます。
水仙祭りでは、お茶や音楽に興じて自然の美しさを楽しみ、このときもまた、ともにいられる喜びを味わいます。
ちょうど日本のお花見のようなものですね。
日本は世界で一番美しい桜が咲きますから、春になると、その自然の美を直接愛でるために世界中から人びとが訪れます。
ある夏のリトリートで、私は日本から来たジャーナリストの女性に、「春にはお花見をしましたか?」と聞きました。
すると彼女は答えました。
「いいえ、タイ(先生)、仕事がとても忙しくて、そんな時間はありませんでした」。
ほんの一瞬でも立ち止まって、その自然の素晴らしさを楽しめないなら、
日常生活でどれだけたくさんの奇跡を見落としてしまっているのでしょう!
私は彼女に言いました。
「○○さん、あなたは桜の国、日本に住むことができて本当に幸運なのですよ。それがどれだけ恵まれていることなのか、知っていますか? 次の桜の季節が来たら、そのことをよく思い出して、桜を楽しむ時間をしっかりと取りなさい。あなたのためだけでなく、先生である私のために。そしてあなたが愛するすべての人たちために。ずっと遠くにいる人たちや、もう生きていない人たちのためにも、そうするのですよ」
家族や友人の誕生日など、何かを祝う機会は一年を通して数多くあります。
それはどれも、今生きていること、今をともにしていることを祝うものです。
事実、一日一日はどれも特別な日です。
今生きていて、健康なからだと心地よい住処と十分な食べものに恵まれ、
たくさんの愛する人たちがまわりにいることのすばらしさがわかれば、どんな日も特別な日になるのです。
著書(微笑みを生きる)の終わりで紹介したように、今日は「今日という記念日」です。
今この瞬間を生きるすべを知っていれば、それ以上によい日はありません。
真の幸福は、近い将来や遠い未来で私たちを待っているのではありません。
それは、今この瞬間だけにあるものです。
私たちに少しの時間とマインドフルネスさえあれば、この事実に気づくことができます。
幸福になるために、ものを買ったり、どこかへ出かけたりする必要はありません。
「いま」「ここ」というほんとうの我が家に戻ればよいのです。
それには、意識的な呼吸を二、三回、マインドフルに行うだけです。
呼吸を通して心とからだがひとつになるとき、私たちはいのちを吹き返します。
しかし、たいていは忙しさにかまけて、自分のからだがあることさえ忘れているのです。
私たちの心は、未来を心配して計画ばかり立てているか、後悔と悲しみと怒りで過去に縛られているかのどちらかです。
かりに通勤電車の中で一分間座れたとしても、静かに落ち着いていられるすべを知りません。
そうした状態に慣れていないので、何もしないと居心地が悪くなり、
すぐにiPhoneを取りだしてショートメールを送ったり、ゲームをしたり、本を読んだりし始めるのです。
私のよき友であった故トーマス・マートン神父の言葉を借りれば、次のようになります。
「現代にまん延する暴力の形は、アクティビズム(積極行動主義)とオーバーワーク(過労)である。
現代生活のあわただしさとプレッシャーは、暴力の本質が最もありふれた形をとってあらわれたものであろう。
いくつもの相反する関心事に夢中になり、多すぎる要求を受け入れ、たくさんのプロジェクトに全力でかかわり、誰でも何でも助けたいと思うことを自分に許してしまうのは、まさに現代の暴力に屈服することなのだ。
アクティビズムの熱狂は、私たちの平和への取り組みを骨抜きにしてしまう。その熱狂は、平和を求める内なる能力を破壊する。努力を結実させるための内なる智慧の根を殺して、取り組みの成果を破壊するのだ。」
忙しさは現代の病です。平和のために活動しているとか、環境を保護するために尽くしているといってはばからない人たちでさえ、自らに課した過度のプレッシャーとストレスのもとに行動し、身心両面の健康を犠牲にしています。
「時間をむだにしてはいけない」と私たちは教えられました。
もっと行動し、もっと達成し、さらに結果を出せ、と。
速ければ速いほどいい、というわけです。
でも見てごらんなさい。
そのような集合意識は私たちをどこに導きましたか?
さらなる効率と便利さを求めた私たちは、とてつもない犠牲を払いました。
子どもたちによりよい未来を確約するために、さらに長い時間必死に働いて、そうしてその子たちに何を残しましたか?
今後何十年もの間、原発事故の影響下で生きて行かねばならないのは、その子たちです。
私たちのからだ、言葉、心によるすべての行為には、個人としての果実と集合体としての果実があります。
精神を物質主義に置きかえた社会は、その行いの果実である結末を自ら目にしなければなりません。
日本の社会の主流にはいわゆる「宗教アレルギー」があり、宗教の話はタブーであると私は理解しています。
人びとは宗教を怖れ、避けようとしていますが、ほんとうは自分にわからないもの、理解できないことを怖れているにすぎません。それをただ光で照らせばよいのです。そうすれば新しい発見があり、うれしい驚きがあるでしょう。
そこには、祖先からひと世代づつ受けつがれてきた伝統という名の最もすばらしい宝があります。
私たちが探しているものは、幸福と自由と平和とともに生きるための、怖れと絶望の呪いを解く鍵です。
その鍵は、私たちがずっと避けようとし続けてきたものの中にこそあるかもしれません。
大切な子どもたちによりよい未来を築きたいならば、それこそが、社会という集合体としてすべきことなのです。
私たちは、ただの亡霊にすぎない安全や地位や金銭や権力を「幸福」と呼んで追い求め、あまりに大きすぎる犠牲を払ってきました。
今、スピリチュアリティを私たちの生活の中に取りもどすときがきたのです。
日本だけでなく世界全体が、現在を犠牲にして遠い未来の亡霊を追い求めることを止め、この瞬間の中に目覚めなければなりません。未来は現在から作られます。
美しい未来を確実にする最良の方法は、「いま」という瞬間を美しく生きることです。
心配も後悔もなく、自由な人として生きるのです。
「いま」「ここ」に生きていることの奇跡を楽しむのです。
そのために必要なのは、ほんの少しの時間とマインドフルネスだけです。
プラムヴィレッジの実践の柱となるのは、本書で紹介する五つのマインドフルネス・トレーニング(※ 補足1)です。
これは仏教の基本的な教えのひとつの、八正道の智慧を実践するための具体的なガイダンスです。
これをよく学んで実践すれば、伝統的に「五戒」として知られてきたこのトレーニングが、実は大変に科学的なものであり、また実践するのに仏教徒になる必要はないこともわかるでしょう。
よりスピリチュアルに生きるとは、さらなる理解と慈悲を培っていくことです。
人生にマインドフルネスをもっと取り入れようと思う人は、実践の初心者か長期にわたる経験者かに関係なく、仏教徒であるか否かを問わず、この五つのマインドフルネス・トレーニングを注意深く読んで、日常生活に取り入れることをおすすめします。
あなたが目覚めた意識で生活すれば、自分のからだ、言葉、心による行為の主になることができます。
そうしてどんな状況でも、より健全な方法を意識的に選びとり、あなた自身と他の存在のために苦しみを減らして、さらなる幸福をもたらすことができるのです。
覚えておいてください。いそがしいという字は漢字で「忙」、心の死と書きますが、マインドフルネスは「念」、心が今にあると書きます。
日本では、マインドフルネスの考え方は決して新しいものではなく、昔からずっとありました。
あなたはただ自身に立ち戻り、あなたの中にある、血縁と地縁でつながった祖先の智慧に触れればいいのです。
マインドフルネスの概念は、最近では「マインドフルネス・ストレス低減法 (MBSR*3)」など西洋医学の分野から逆輸入されて日本に広がっているようですが、その智慧は、実は日本のみなさん一人ひとりの血の中にすでにあるものです。
仏教徒の生まれであるかどうかは関係ありません。
禅は日本の文化基盤ですが、その真髄は、坐禅だけでなく生け花、茶道、書道、伝統食、武道、建築などを通して海外にもたらされ、世界の文化の向上に大きく貢献しました。
健康で幸福な生き方への道を導き照らす灯に、あなたは再び点火するだけでいいのです。
しかしそのためには、コミュニティーか友人の輪を作らなければなりません。
ブッダも悟りを得たあと、まず最初にそうされました。
新たに見つけたポジティブな習慣のエネルギーを持続し、安定させて、新しい生き方を続けていくためには、同じ道を歩む善き友のコミュニティーの支えが必要です。
ただし、そのコミュニティー作りは、何よりもまずあなた自身から始まります。
他でもないあなたこそ、六十兆個の細胞と五蘊のコミュニティーなのです。
あなたのからだの中の細胞がすべて調和して働き、心とからだがひとつになれば、あなた自身が善き土台となって、そこから家族や友人たちの間に調和が生まれます。
その家族に調和があれば、近隣、学校、職場、広くは社会全体に調和がもたらされるのです。
3・11後の日本では、「絆」を作ろうとさかんに言われましたが、生きることにマインドフルネスを取り入れれば、真の絆をつくることができます。
マインドフルな生き方の良さを共有することが「宗教的」な行為である必要はありません。
それは実践的なツールとして学校で教えられますし、またそうすべきものです。
「ウェイクアップ・スクール」という活動があります。
これはマインドフルネスを学校のカリキュラムに導入するという試みで、すでにアメリカ合衆国、イギリス、カナダ、インド、タイ、香港など、世界で展開されています。
学校では道徳や倫理を教える時間がありますが、一体何を教えれば生徒の人生に役立つのかを、悩んでいる教師たちが多くいます。
教師と親がマインドフルに生きることのすばらしさを学び、若者たちと一緒に実践できるようにと、プラムヴィレッジは教育者対象のリトリートを世界のあちこちで行っています。
日本では毎年たくさんの若者が、学校でのいじめ、うつ、ストレスなどが原因で自らの命を絶っているようです。
マインドフルネスの実践を導入すれば、多くの命を救うことができ、もっと健やかで、リラックスした、幸せな学校環境を築くことができます。
教育者や親でこの活動に興味のある方は、著書(微笑みを生きる)巻末のウェブアドレスにご連絡ください。
ここで、私はあなたにおすすめしたいことがあります。
テレビのスイッチを切り、パソコンのスイッチも切って、本を片づけてしまいましょう。
そして、ほんとうにあなた自身のためにそこに存在してみるのです。
そうすれば、あなたは愛するものたちのために存在することができるでしょう。
その中には母なる大地も含まれています。
今度あなたが立ち止まって、桜のようなすばらしい自然を楽しむときは、私たちすべてのためにそうしていることを、どうか思い出してください。
あなたの近くにいるもの、遠くにいるもの、生きているもの、もう生きていないもの。そのすべての存在のために。
そして、ほほえんでください。
平和はあなたの美しいほほえみから始まります。
二〇一三年三月ティク・ナット・ハン
*1 アッパーハムレット(上庵):「上の集落」の意味。ティクナット・ハンの庵がある、僧侶(ブラザー)と男性の参加者が過ごす僧院。重要な催しはおもにここで行われる。
*2 アクティビズム(積極行動主義):深刻な諸問題を解決するため、社会や政治を変えようと積極的に行動する考え方。そのように行動する者をアクティビスト(活動家)という。
*3 マインドフルネス・ストレス低減法(M B S R):米国人医師のジョン・カバット・ジン博士が開発した、瞑想やヨガをベースにしたストレス対処法。
※ 補足1 五つのマインドフルネス・トレーニング:
⇒ 『微笑みの風』http://www.windofsmile.comの「活動案内」を選び、「プラクティスのご紹介」をご参照願います。
ブッダの幸せの瞑想(サンガ) ティクナットハン著 島田啓介、馬籠久美子 訳 より